5月16日(土)座談会「インナーサーフィン/ビギナーからのサーフィン上達と楽しみ」 ゲスト/阿部博・梅澤正二郎


日時:5月16日 18時30分より

session1「インナー・サーフィン」
     ゲスト/梅澤正二郎(サーフィンジャーナリスト/元NALU編集長)

session2「カスタムボードは上達の早道」
     ゲスト/阿部博(シェーパー Abe Shape & Desigh

参加方法:要予約/参加費無料(お気軽に参加して下さい!)

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◆session1
「インナーサーフィン」 
サーフィンが自然上達するメンタリティを身に付けよう!

サーフィンの魅力は、あの「超えている瞬間」を味わうことではないでしょうか。
自然が造り出した波のパワーと一体感を抱きながら、次々に姿を表す波の斜面を
滑り続けていく…。何もかも忘れて「ワァー」と声を上げてしまいたくなるような感動。
そんなときは自然と体が動き、見事に波とシンクロしているものです。
しかし、そんな「超えている瞬間」は長続きしません。すると「さっきは所詮マグレ」
「やっぱり下手だから」「パーリングを見られて恥ずかしい!」「次はもっといい波に
乗ってやる」「今日はどうも調子が悪い」という心の囁きが聞こえてきます。
すると「超えている瞬間」は、二度と訪れてはくれません。

インナー・サーフィンの達人は意外にも周りにたくさんいます。
それはヨチヨチ歩きを始めた乳幼児たちです。幼児は「歩行」というとても
複雑な動作を「キャッキャ」と楽しみながら、あっという間に覚えてしまいます
(ちなみにホンダが開発した歩くロボットは5億円近くの開発費用が投入されたそうです)。もちろん「正しい歩き方」などといった本を読むわけではありません。それなのに幼児が
「歩行」という難しい動作をいとも簡単にマスターしてしまうのは、
「理屈」や「言い訳」「虚栄」といった心理を持ち合わせていないからです。
つまり幼児は常に「超えている瞬間」を味わっているのです。
そんな心理状態を意識しながら海に入ることで、すべての人間が持っている
「自然上達」の力を最大限に利用して、楽しみながらレベル・アップするのが
インナー・サーフィンの理論です。

**インナー・サーフィンの素晴らしいところは、生徒のレベルを問わないことです。
やっと立てるようになった初心者から、大波にチャレンジしたい上級者まで
このメンタル・トレーニングは活用できるのではないでしょうか。

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◆session2「カスタムボードは上達の早道」

「カスタムボード」というとプロや上級者向けのサーフボードと思いがちですが、
本当にそうなのでしょうか? 実は「初心者」や「女性」ほど、自分のレベルや体格、
波質に合ったカスタムボードが必要なのです。とはいえ初心者はサーフボードに対する
「知識」がないために、どうやってオーダーすればいいのか分からず尻込みしてしまう
かもしれません。が、ボードに対する知識が必要なのはシェイパーであって、サーファー
ではありません。必要なことはただ一つ。シェイパーと「コミュニケーション」を取る
ことなのです。「パーリングしてしまう」「テイク・オフで波に遅れてしまう」
「ターンできない」「一人で持ち運べない」「もっとシャープなデザインがいい」などなど。
自分が抱える問題点や感じたことを率直に伝えるだけで、あとはシェイパーがデザインや
数値を決めてくれるのです。自分のためにプロが道具を造ってくれるスポーツなど、
他に思いつきますか? カスタムボードを手にすることでサーフィンが楽しくなり、
さらに上達への近道になることをレジェンド・シェイパーの阿部博さんが分かりやすく
レクチャーしてくれます。

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◆profile/阿部博(あべひろし)

1949年神奈川県鎌倉市生まれ
13歳のときに初めて自分のボードを削り、サーフィンを始める。やがて彼が手がける
サーフボードのクオリティの高さが話題になり、仲間のサーフボードを削っているうちに
それが職業になった、日本のシェイパー界におけるパイオニア的存在。
1969年にドロップアウト・サーフボードを設立後、シェイプ修行のためにハワイへ渡る。
そこでディック・ブルーワー、トム・パリッシュ、ジェリー・ロペス、ベン・アイパといった
レジェンド・シェイパーと仕事を共にし、彼らから大きな影響を受ける。その後、
ドロップアウト・サーフボードの最盛期には、年間約3500本のサーフボードを生産する
ファクトリーのヘッド・シェイパーとして活躍。そして2004年、ひとりひとりのレベルに
合ったボード造りに専念するために自らのブランド、アベ・シェープ&デザインを設立。
シェイプ・マシンやモルディング製法の商品が主流になりつつある今、彼のハンドメイドに
よる「カスタムボード」に注目が集まっている。彼が生涯削ってきたサーフボードの数は
2万本を超えるという。