盆踊り、そしてエネルギーはものの哀れ

お盆だった先週、BEACHから自宅への道すがらで開かれていた町内会の盆踊りへ。
都内の下町に住んでいた小学生の時分から随分と懐かしくもあった音にあわせて、
やぐらを囲む輪へと加わりぎこちなく踊ってみた。
ちょうど山辺には丸い月が浮かんでいたことも気分良く、
炭坑節の冒頭をついつい唄いながら・・・

♪月が出た出た 月が出た ヨイヨイ
 三池(みいけ)炭坑の 上に出た
 あまり煙突が 高いので
 さぞやお月さん けむたかろ サノヨイヨイ
 
 一山 二山 三山 越え ヨイヨイ
 奥に咲いたる 八重つばき
 なんぼ色よく 咲いたとて
 様ちゃん(さまちゃん)が通わにゃ 仇(あだ)の花 サノヨイヨイ

 あなたがその気で 云うのなら(いうのなら) ヨイヨイ
 思い切ります 別れます
 もとの娘の 十八に
 返してくれたら 別れます サノヨイヨイ

誰もが馴染んだこのスタンダードナンバーは、
日本を代表する炭坑であった九州の三池炭坑で唄われた労働歌だった、
と恥ずかしながら知る。

近代化後、多い時には国内に600あったという炭坑。
過酷、危険な労働条件の下で、多くの惨事からたくさんの犠牲もうんだという。
石炭は国益を上げるためには、最も不可欠なエネルギーだったのだ。
戦中、戦後の社会を支えた炭坑夫やその家族が唄った歌。
お盆くらいはゆったりと過ごせたのだろうかと想わずにいられない。
今も名残を残す夏の海水浴場もまた、戦後、夏の余暇を過ごす場として
特例的に海の家の営業権を認めたことから始まったものだった。
1960年代以降、世界のエネルギーの主役は、石炭から石油へと交代し、
炭坑そのものは国内から瞬く間に閉められていった。

その時々に、それまでは当たり前であった仕組みやモノの限界が、
はっきりと見えることがある。それは時代の転換点のタイミングといっても
いいかもしれない。

石油の高騰もそうとらえることができるかもしれない。
考えようによっては、石油というエネルギーを膨大に消費することによって
支えられてきた時代から脱却できる時だと。
昼夜を問わず明かりを煌煌と灯し、
わざわざエネルギーを沢山かけた服装をまとい、
密閉された冷房で冷やされた空間に自らを閉じ込め、
成層圏までに影響するヒートアイランドをつくる。
今年7月の雷の発生数は、史上最多だそうだ。

今をときめく、オリンピックに湧く中国だが、
開催前には自然環境の破壊や公害の問題が、広く報道されていた。
環境や身体にインパクトのある化学製品の製造を安価にすまそうとしてきたのは、
その環境問題への報道を行ってきた日本や欧米の人々ではなかろうか。

文明全体が一つの狂気の
中にある。
しかし、それに付き合うという
ことが現代人にとって「生きる」
ということである。

茂木健一郎さんのブログの8月15日付け「樹冠を伸ばしていく」より。

できるだけ石油を使用しない生活にし、気候風土に適した衣食住の再設計の中で、
地域社会とのつながりを取り戻していくことへ今、転換させていきたい。
先人たちの汗を流して築いてきたものを否定するのでなく、
そのひとつらなりにあるものとして。

グローバリズムの中で、他律的な
価値観を安易に取り入れることは、
ブルドーザーで固有の生態系を
根絶やしにすることに等しい。

                                 
楽しい盆踊りの後に、子供たちが浴衣で安心して家に帰れる地域社会をずっと。