カーチベーの吹く頃

骨の髄まで凍りつくような風にさらされながら、
パタゴニア鎌倉ストアにホーボー潤さんのスライドショーを観にいった。

世界の果てのような光景の中を、情熱的に、どんな苦難の中にも
ロマンを見て進む旅の数々。

昨年の秋には、鹿児島から台湾への600kmの海を、フェザークラフトに
サバニの帆で、ミーニシーと呼ばれる北の季節風をとらえて渡ろうとした。
昨年は結局、全ての行程を渡ることができなかったが、また挑む旅の続きに
早くも心を弾ませている。
久々にお会いした潤さんは、相変わらずパワフルそのものだった。

潤さんとの出会いは、知人を通じて紹介された
昨年の沖縄でのサバニレース。同じチームに参加したことだった。
僕らが乗せていただいたサバニは、杉で造られた「ニヌハ2」という美しい船で、
片側にアウトリガーがつけられていた。
この地域の伝統的な形でいえば、アウトリガーは不要なもの。
ただ、スピードに長け、安定性に欠く古式のサバニを自由に操ることは、
簡単なことではなく、慣れるまでのプロセスとしてアウトリガーは付けられた。

ニヌハでの挑戦は、レースの黎明期から始まり初代からニヌハ2と船も変えて、
一昨年が15位、昨年が5位と確実にレベルアップをした。
このレースが順位だけを競うものならば、さらなる順位アップを目指せばよかった。
このチームの中心であり、精神的支柱である沖縄カヤックセンターの仲村さんが、
ぶれることなく見つめているものがあった。
伝統的な形のサバニの操船術の復活。
いい変えれば、サバ二とつながる身体性を取り戻すこだった。

単にスピードを競うものであれば、ヨットの帆を使用し、
カーボン素材の船体にするのだろう。
沖縄から奄美にかけて長きに渡り、交通手段に、漁労に利用されてきた、
その列島や九州の材料によって建造されてきた、サバニという船の記憶。
そして、現在から未来にその地域に生きる人々の身体が、
サバニという形態に詰まった記憶と、つながることに目的はあった。

今週になって、アウトリガーカヌーをつけない古式サバニ「ニヌハ3」を利用しての
琉球サバニ塾
が開始されたとの連絡をチームの山崎さんからいただいた。
昨年は、何の準備もないままに参加させてもらったレースだったが、
今年はカーチベー(夏の南風)が吹き始めるよりも前にチームに合流して、
もっといい働きをしよう!と、冷たい風に吹き付けられながら思った夜だった。

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