山や海を誰が守るのか
丘陵をかきわけるように下山川が注ぎ、
黄金色の太陽と霊峰富士を望む。
太平洋の島人マオリは、山から海へと水脈が連なる扇状地を
アフプアアと呼んで、もっとも大切にした地形であったようだ。
まさに、アフプアアといってもいいであろう、葉山の海際に遊歩道が
作られるかもしれないという。
打鯖と呼ばれた浜には、魚が打ちあがることはなくなるのだ。
これまた、聞くところによるとだが、緑深い山々が中国人に買われているという。
「国破在山河(国破れて山河在り)」
であれば、まだいい。
いつしか、国も破れて、愛でる美しかった山や海もなくなってしまって
いるという事態にもなりかねやしない。
様々なものが連綿とつながりあい、一体をなす世界を、
断片化し、散り散りに。断絶したものは、生態系か、社会か、未来か。
私たちはまた、ふみしめる今いる土地について、食している命について、
そのつながりを学びなおさなくてはいけないと思う。
風土学、はたまた、バイオリージョナル(生態地域学)みたいなことを、
それぞれの地域で学べるようにすることはできないだろうか。
つながりや多様性を知ること。多様さを超えた一体であること。
カヌーで沖にでると、いつだった、遠くに見える緑がなぜ愛おしく、
思えるかわかるような気がする。
そこに水があるから、そこに生命の息吹があるからだ。
そんな根源的なものが喚起される。
- 2007.11.27
comments
わたしも山を走っているときに同じことを思うことある。
海も山も、人間にとって、生き物にとっては必要不可欠なもの。それを破壊するのも、守るのも人間。
できれば、守る側でいたいですね。
山から見下ろす海も愛おしく感じます。自然が豊富にある環境で暮らしているからこそ、そういうことに気づけるのでしょう。
そうか、噂には聞いていましたが
「うっさば」に遊歩道できるのかも?、、ですか。。。
コンクリートでガッチガチのの遊歩道とか護岸壁、
必要ないとおもう。
(計画を把握せずにいうのもなんだが)
自然のあるがままの形を尊重したほうが、人も自然も
うまく回って行く場合がほとんどだ!(断言してみる)
人工物作る事によって、湾に入ってくる波、うねりがかわっちゃう
→すでに湘南でも、どんどん砂浜の砂が減って
海岸が狭くなって、わざわざトラックで砂運んでる
海岸があるときいたことある。。
磯がなくなり海岸がコンクリートで固められると、生き物が住みにくくなる。
→コンクリートにヘドロがたまったり、ちいさい生き物がいないことで自然の浄化作用がうまくいかなくなったり。
行政やら、土建会社やら?、
一度決まった計画を中止するのは、大変かもしれないが、
「本当に,今必要な事なのか?」、、、、と
じっくり考えてほしいですね。
わたしも気に留めるようにしようとおもう。
mbさん>
そうですね。自然とかかわりあいのある生活をしていると、
その恩恵が分かりますよね。
ihaさん>
なるほど、ホントそうですよね。問題はコトの決定をしている
ところなので、先々まで持続可能なよい決定をしていただけるようにしてもらいたいです。僕らの出来ることは、そのための材料を経験してもらうことなのかもしれませんね。
自然に勝るものは、何も無い。どんな事にせよ、物事はシンプルであることが最も重要な事。複雑にして碌な事無し。自然を一緒に守りましょう。
自然の一部でいることが、いかに素晴らしいか、
BEACHの仲間でいることで、それをより多くの人に
伝えることができたら。
風の香りをかぎ、雨の音を聞き、波のささやきや叫びを感じること、自然と対話することができる力を多くの人が思い出すことで、もっと自然へのリスペクトが高まるのかも。あくまでもポジティブに、少しずつ前に進みたいです。
MASAKIさん>
共感します。僕らは、それがあって生きているものですからね。
saeさん>
ありがとうございます。なるほど、「自然と対話することができる力」まさに食もそういうことでよすね。