2009年02月 ARCHIVES

vol.2 永井 巧さん <4>

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永井君の話を一通り聞いた後、
その中で、耳に残ったことを、もう一度聞き返した。
それは、「コミュニティ」という言葉だった。

永井君の言う、コミュニティの重要性。
正直、最初はピンとこなかった、
けれど、今あらためて、彼の真意が分かってきた。

ソマリアやタヒチで感じた、地域社会=コニュニティの重要性。

人はひとりでは生きていけない、
内戦、無政府状態のソマリアでは、怒りが怒りを呼び、強盗や殺人が起こる。
地域社会に信頼関係がなくなり、自らの仲間を守れない状態になっていた。

一方、タヒチでは、海という不確定要素と背中合わせの生活の中で、
人々はある意味、無計画でおおざっぱ。暖かな風土のもと、魚やフルーツをシェアする文化。
そして、お金のある人を人は頼りにし、困っているファミリーがいれば、誰もが助ける。

相反するコミュニティを見て、日本にあって何が理想かを考えさせられた。
BEACH HAYAMAは、そのコミュニティの始まりだと、永井君は言う。

山や海、自然を中心にして集まってきた人々、
自然とのかかわりの中で、生まれたフレンドシップや信頼。
このコニュニティが、いかに自然と親しんでいけるか、
先々、健康に体を動かせていけるか・・・・
医療にできるだけ頼らずに、元気でいられるか・・・・
それを考えていくことの手伝いが、できたら。と考えている。

嬉しかったのは、BEACH HAYAMAで、海や山とかかわりをもつようになり、
都会での仕事から一歩離れ、体を動かすようになり、
姿勢がよくなった、肩こり、腰痛がなくなってきた・・・
薬がいらなくなった、という話が聞こえてきたこと。

また、同年代、上の年代はもちろん、
より広い層に向けて、自然の中に入って
健康でいることの喜びを伝えることができたら。

20代、10代、そしてもっと若い子供たちにも、
もっと元気よく、海にもまれるお手伝いができたらいいなぁ。
と永井君の気持ちは広がっている。
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心に強い思いがあって、何かを伝えたい。
それを実現するための方法に、きまりはないし、
これで間違いないというレールも敷かれていない。

でも、考え、決断をして、一歩一歩進むしかない。
永井君もしかり、前回お話を聞いたDukeさんも。
BEACH HAYAMAには、「面白い」人が集まっている。

次回も、このコミュニティを通して、
興味深い人のお話、お楽しみに!!


vol.2 永井 巧さん<3>5つの質問

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BEACH HAYAMAがお休みの月曜日の午後、
天気がよくて、ぽかぽかと暖かいテラスで、
永井君から話を聞かせてもらった。

20代からの紆余曲折。どこにいて、何をして、どう思ったか。
話はどんどん進み、やがて日は暮れて、
インタビューノートをとるにも、文字がよく見えなくなっていた。
暗くなったテラスに座った私は、永井君の話に導かれて、
ソマリア、ハワイ、タヒチ、そして日本へと旅をして戻ってきたような気分に。

ソマリアでの体験は、その土地に足を踏み入れ、
さまざまなことを目の当たりにした人ならではの、
複雑な感情が入り交じっていた。
平和な日本の若者には、そこでの状況はあまりにも現実と離れていて、
タイムトリップしたような、カルチャーショックを受けたに違いない。

いいとか、悪いとかではおさまらない世の中の仕組みを、
輪郭でとらえ、必死に理解しようとした永井君。
一般的な社会人としては、ちょっと軌道から外れてしまったような時期。
でも遠回りをしたようでいて、一瞬一瞬を自分の気持ちに正直に決断したことで、
本来乗りたかった軌道を見つけることができた。

永井君のプロフィールは、BEACH HAYAMA 永井 巧BLOG

今の自分を使って、伝えること、サポートすること、楽しむこと。
海にかかわることに全力で向かう永井くんへの、5つの質問。


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vol.2 永井 巧さん<2>Photo album

これまでの人生が、だんだんとつながってきた

「”ラッキー”だな。
そのときはつながっていると思わなかったけど、振り返ればつながっていた。
コンセプトを定めてやっていたわけじゃないけれど、今は”ギフト”みたいな形で、チャンスをもらっている」
BEACH HAYAMAでの仕事をはじめ、今現在の自分をとりまく環境、
海とのかかわり方について伝えること、そして文章で表現すること・・・・。

20代のころから今に至るまでの話を終えたとき、
何かに気づいたように永井くんの口から飛び出したのは、そんな言葉でした。

「学生時代、突然ソマリアに行ったり、大学を卒業しても就職せずにヨットに乗りこんだり・・・、
人からは”好き勝手やってるね”と言われて当然だったし、
自分でも、なんで、こんなに色んなことがやりたいのか、説明できなかったし、
でも、今やっとそれぞれがつながってきたのかもしれない」

自然の中にいることが大好きで、
その入り口である海の楽しみを多くの人に知ってもらいたい、
人と海が関わる環境を調えるのがライフワークだと思う・・・そう語る永井君。
終点の見えない迷路を直感にしたがって進んでみたら、
行き止まりもあり、同じところに戻ってきたいたりもあったり、
でも、ひとまず行きたかった方向にいることが分かった・・・。
そんなところなのかもしれない。

まずは、その半生を写真で見てみましょう。

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1971年6月13日 東京で三人兄弟の長男として生まれる。


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3歳から7歳までを、ブラジルで育つ。 最初の海の記憶は大西洋から。

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今よりも大人びた表情の少年時代。好奇心と正義感は昔から強そう。


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大学3年のときに国連の平和維持活動のボランティアとしてソマリアへ。
この経験が、後に人生の方向を変える大きなきっかけに。
(期待と不安の混ざった初々しい感じ!!そして、細い!!髪が!!)

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20代半ば。大学卒業後、就職よりもさらなる経験を求め、でヨットの回航クルーとして
ミクロネシアで船に乗り込む。
寝る場所と食事が提供されるのが条件。
顔つきが、だんだん野生的になってきた。
今を匂わせる何かが、この頃に宿ったのだろうか。

BEACH HAYAMAの永井 巧BLOG

ソマリア、タヒチ、そして日本、
20代からの経験と、そのとき考えたこととは?

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vol.2 永井 巧さん <1>

21世紀を生きる、ネオ野生人
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 BEACH HAYAMAの野生児として、おなじみの「ながちゃん」。
真冬なのに、半袖でビーチクリーンしていたり、
まだ春先なのに、すでに海パン一丁でアウトリガーカヌーを漕いでいたり、
海中から、ぬぼっと坊主頭を現す姿は、葉山名物の珍獣との噂も。。。
とにかく、誰よりもその生態が野生に近い、「永井巧」という人。
そして、かなりと熱く、人生のロマンスにストレートに生きる人。。

前回のDukeさんに続き、どうしたらこんな大人が出来上がるのだろう?
そんな素朴な疑問から、彼に話を聞きたくなった。
正直、どうしたら、こんなにワイルドなのに、
社会とのバランスをうまくとって生きていけるのだろう。。。
現在37歳、永井巧が出来るまでのあれこれを探ってみたら、
話しているうちに、その答えがクリアになってきた。

こうなりたい、と狙っていたわけではないけれど、
そのときそのときの自分に正直に生きてきた、
それが今の自分につながっている。

人生とは、ほんとうはそんなものなのかもしれない。

あるところでは、「詩人さん」とも呼ばれる永井くん。
その文章は、野生児から生まれるには、あまりにも繊細で美しい。
すべては、彼のもつ「感性」から生まれるもの。
自然に近く、感じるセンサーを鈍らせない。
現代にこそぴったりとフィットする、ネオ野生人、
永井くんをもっともっと知りたい。

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