2008年08月 ARCHIVES

ハワイイ島紀行 8/30

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ゆるやかなマウナロア山から朝陽が広がりはじめた頃には、
レース会場には所狭しと置かれたカヌーの合間をぬって大勢のパドラーたちが集っていた。
やがてレースの安全と無事を願った祝詞がはじまった。

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マージェリーという頼りがいのあるスティアーズマンを迎えて、
元気よく6人揃って、スタートラインにならぶ参加チーム129艇、
そのひとつへと沖へ向かっていきました。

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若き、カメハメハ大王が暮らしていた小屋が建っていた地をぬけて、
めざすは聖地ホナウナウ。

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2時間52分。全力を出し切った女子チームは見事にゴール!
集中してあっという間だった人もいれば、苦しくて涙をながしながら漕いだ人もいる。
現れは様々だが、全員がベストを、全力を出し切ったのだ。

ホナウナウからコナまでの復路は、男子の番となる。

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130艇の中でも中盤よりも前につけるスタートダッシュをきめた。
1時間まではもったのだったが、次第に経験の差が明白になっていった。
そして、痛恨のフリ(転覆)をしてしまう。

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フリから回復後、再び残された力をふりしぼる。
声をだして、激励して、力をあわせてカヌーを前へと進ませることだけ、
ただ、ひたむきに。

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2時間35分でゴール。悔しさ。疲労。安堵。とにもかくにも全力は出し切った。
レースを終えたが、またここからがスタートなのだ。

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ハワイイ島紀行 8/29

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ハワイイ島紀行 8/28 その2

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ハワイイ島紀行 8/28 その1


大きな地図で見る

この日は、ヒロからコナへ移動の一日だった。午前中、ヒロで到着が一日遅れたクルーと、何はともあれ無事に合流することができた。
 
 ヒロから、そのまま一路北上。ハワイイ島の南東部の沿岸部より少し内陸をひた走る。光景としては、丘の上から真っ青な海を遠くに見下ろすように。
鬱蒼とした緑を抜ける、川筋にかかる幾多もの橋を次々に渡る。
 
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 火山の島々であるハワイイ諸島は、島の東側は雨が多く緑が多いのに対して、島の反対の西側は、ドライで陸地は茶色の荒涼とした風景が広がる。貿易風と呼ばれる東風が年間を通じて吹き付ける為に、山にぶつかった風により雲が生まれて降雨があるのだ。

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 やがてハイウェイは、沿岸から離れて内陸へと向かい、草原で牧畜を行っている風景などを楽しんでいるうちにワイメアへ。光景が、月面のように荒涼としてきたところで、誰かが「アポロの月面着陸の映像はここで撮ったのでは・・・」と。
 
 ヒロを発ってから2時間半ほどでカイルア=コナへ。レース会場の拠点となるキングカメハメハ・ホテルに向かうと、すでに無数のOC6(6人乗りアウトリガーカヌー)が小さいな入り江の中に所狭しと並んでいる。それらのカヌーの合間には、何にもの人が入りリギング(アウトリガーをロープで締め合わせる作業)を行っている。そこでデュークさんと合流した僕らは、早速リギングの作業に入る。レジストレーションもすませたいところだが、問題がひとつあった。男子のチームは人数がいるもの、女子チームは今回5人でしか組めなかったのだ。したがって1人をこちらで探さなくてはならなかった。果たしていい出会いはあるのだろうか?

ハワイイ島紀行 8/27

 旅に、しばしば予期せぬ出来事がおこることがある。本日到着予定だったクルー4人の
うち2人の到着が一日遅れることになった。理由は、予定通り成田を離陸した飛行機が
2時間ほどフライトしたところで急病人がでて、やむなく成田へ引き返すことになったのだ。結局6時間ほど飛行機に乗っていたが、成田へ再び着陸しなくてはならなかったのだから、
なんともアンラッキー。深夜に成田のホテルにチェックインしてから連絡をもらって、
本当に二人が気の毒であった。しかし、こんなアンラッキーばかりが続くはずはなく、
その後はきっと幸運があるはずと期待ですよね!

 午前中はHonoliiポイントへ。ポイントは前日よりも風が入り、サーファーの頭数は
少ない。陽射しは熱いのだが、海からの風は爽涼そのもの。波間にいたるところで
プハッーと顔を出すウミガメの姿とともにファンウエーブを楽しむ。

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 その後は、午後に到着したクルーを空港でピックアップし、デュークさんと合流。
今回のハワイイは、カヌーの準備からレースエントリー、エスコートボートの手配、
クルーをそろえることまで等をデュークさんにお願いした。ホクアラカイのキャプテンの
チャドさん達とともに現れたデュークさんは、いつも通り当然ながらハワイアンの様だった。

 今回レースで使用させてもらえることになったカヌーは普段はヒロにあって、
子供たちの教育に利用されているという。そこには、ホクレアと同じく航海用セイリング
カヌーのホクアラカイが悠々とあった。70年代に実験航海をホクレアが成功させた後は、
自在に太平洋を行き来した海の民であるポリネシア民族のアイデンティティーを
回復させた柱ともなった。現在、ビッグアイランドにはホクアラカイの他にマカリイと
合計二つの航海カヌーがあるのだ。

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 さて、話しは今回レースで使用するOC6(6人乗りアウトリガーカヌー)に戻そう。
今回レースの際に利用させてもらうカヌーは、僕らの到着に先立ちコナへと移動して
くれていたので、別のカヌーを利用してヒロ湾へと漕ぎだした。長い堤防に囲われた
穏やかなヒロ湾の海を、漕ぎだす。ハワイイの海を、いつも葉山の海で漕いでいた
仲間達と漕ぐのは感慨深いものがある。

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 湾の砂浜には、幾多ものクラブの所有するカヌーがずらりと浜にならぶ。
真っ昼間には、ひっそりと木陰にならぶカヌーだが、これらが一斉に動きだす時間がある。
 ヒロのダウンタウンの店の閉店時間は5時と表示されているが、閉店間際に飛び込みで
いくのは避けたほうが良い。ずらりと並ぶカヌーの練習時間が5時からだから、多くの店は
早めにシャッターを下ろしてしまう。というのは大げさだが、そう言いたくなる程に5時に
なると一斉にヒロ湾に並ぶカヌーの周りに人が集う。ダウンタウンの店が早めに閉める
ことができる大らさかさ、これもいい意味でのアイランドスタイルなのだ。

ハワイイ島紀行 8/26 その2

 ヒロの町は、日本に暮らすものにとって懐かしさや親近感を抱かせるところだ、
と聞いていた。

 ダウンタウンと空港、そして住宅地のどれもが隣接し、小さくコンパクトにまとまった
町は、マウナケア山のゆったりと延びた裾野と穏やかな弧を描いたヒロ湾の間に位置する。

 早々に空港とダウンタウンの間にあるホテルHilo Seaside Hotelにチェックインをすませ
ダウンタウンへ。

 言われの通りノスタルジックな建物が並びや、日系ルーツを感じさせる様々なものが
郷愁を誘ってくる。パドルストアのHilo Bay Paddlerをのぞき、カヌー関連の商品よりも
先にサーフポイントの情報を確認。

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 そのダウンタウンから北へと車を走らせると、漢字を刻んだ縦長の墓標がずらりと並ぶ
墓地が斜面に広がっていた。その瞬間、同時に想い描いたことが、昨年日本への航海を
行ったホクレア号のことだった。ホクレア号の日本への訪問の目的は、今のハワイイを形
づくった日系移民の故郷への表敬訪問でもあった。火山灰の土地を苦労して開墾した人も
少なくなかっただろう。日本からの移住者たちの存在とともにハワイイの近現代の歴史も
あるものなのだ。
 
 その墓地から程なくあるポイントHonoliiは、舞台装置としては完璧なまでのサーファー
にとっての桃源郷のようなロケーションだった。
 たわわに溢れた緑の谷間から抜けたリバーマウスの前には、両側にレギュラー、レフト
の波がジェントルにブレイクし、きまり良く波に乗るサーファーの姿が並ぶ。
一見、閉鎖的になっても不思議ないような場にも見えるが、ちょっと混雑したポイントへ
入っていくと、見事にいい空気感が漂っている。
 レベル、年齢、そして道具もロング、ショート、フィッシュ、SUP、BBと驚くほどに
多様であった。一番奥から一番いい波に乗っていた誰にでも顔がきいいていたローカルと
思しきハワイアンが使用していたのは、ブルーのソフトボード・・・モノには頼らず、
「波に乗ることを、その周囲の人とともにサーフィンを楽しむ」という雰囲気が最高でした。

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ハワイイ島紀行 8/26 その1


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 ホノルルを離陸した飛行機が東へと大きく旋回していく。
向かう先はハワイイ諸島のハワイイ島。ビッグアイランドだ。
機内の窓からはダイアモンドヘッド、そしてハワイカイ、ココヘッドを
眼下に見ることができる。深く、真っ青な海面には白く、風波立っている
ことがはっきりと認識できるままの高度でモロカイ島へ。

 東からの貿易風が吹き付け、うねりや風波、そして島へ寄せ付けぬ
強烈な潮流の中、モロカイ島からオアフ島への60kmほどの海峡を
渡ることがハワイイのカヌーのレースでは盛り上がりのピーク。
茶色の乾いた大地に覆われたモロカイ島。その荒涼とした世界から、
ともにレースに挑むものたちでしのぎを削りながら華やかな
ワイキキへと漕ぐこと、5、6時間程だが隔世の感がある。
 
 モロカイ島の南岸をさらに東へと。マウイ島付近にさしかかると、
雲の量がますます増しきた。それでもマウイの小さな島の山の南斜面に、
大きな白い風車が立ち並んでいることが確認できた。大小ふたつの火山が
連なって誕生したマウイの島の中央部にあるハレアカラの山頂に
いたっては、周囲の雲よりもずば抜けて高くそびえる。
 
 ハワイイ諸島は、すべて同じ火山から誕生した。現在、活発な火山活動が
行われているのがハワイイ島。北西から南東方向につらなるハワイイ諸島
では、一番西にあるカウアイ島が古い。東からは西に向かっては、
風や波だけでなく地核のプレートも移動しているというわけだ。
 
 やがてハワイイ島の北東部に沿いながら、飛行機は高度を下げていく。
緑が茂る森林や農地、ポイントで波待ちするサーファーの姿も確認
しながら、ヒロの空港へと着陸。島の東側に位置する町は、
湿潤で雨が決まって多いもの。
だから、晴天は期待していなかったのだが、爽やかで清々しい晴天だった。
ホノルルもよりも、格段にずっと人が少なく、人々の表情もまた和やかで、
ゆったりとした空気感が漂う。

見知らぬ土地へ行ってみることは良いものだ。
はじめての土地、ヒロは着いた瞬間にそう思わせてくれるところだった。

(8/26 その2へ続きます。写真もアップしますね)

8月もいよいよ

残すところ1週間となりましたね。
焼けるような砂浜やあの寝苦しかった熱帯夜がずいぶんと懐かしく、
寂しくもあります。

先週の金曜日は千葉、九十九里へ。
以前からお世話になっていたTED SURFの阿出川潤一くんに
会いにいってきました。

TED SURFは千葉にサーファーがほとんどいなかった頃に太東へベースを築き、
今はロングボードには最高の太東と共に、白里海岸にもカイト、ウインド、SUPにと
コンディションに合わせて最高のチョイスを提供できる拠点を構えています。

潤一くんは、海のことなら何でも高いレベルで楽しんでしまうウォーターマン。
ブログでもその様子をうかがえますよ→http://junadegawa.blog20.fc2.com/

さて、翌23日土曜日は同じ大浜で活動するOCCJ葉山と
交流ファンレースを行いました。本場では同じ浜や地域にいくつもカヌークラブが肩を
並べていますね。レース後のビーチクリーンも一緒に行いましたが、これからも共に
いい環境作りに貢献していきましょうね。

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さて、今週末はいよいよコナレース。
日本からは湘南アウトリガーカヌークラブとともに僕らBEACH葉山からも参加します!

GENTLE WAVES


今年の明けにBEACHで個展を開いてくれた澤匡章さん。
来月9月に代官山である個展のお知らせをいただきました。
新たな作品も加わっているそうなので、楽しみです。

お知らせ→http://gentle-waves.info/news10.html

盆踊り、そしてエネルギーはものの哀れ

お盆だった先週、BEACHから自宅への道すがらで開かれていた町内会の盆踊りへ。
都内の下町に住んでいた小学生の時分から随分と懐かしくもあった音にあわせて、
やぐらを囲む輪へと加わりぎこちなく踊ってみた。
ちょうど山辺には丸い月が浮かんでいたことも気分良く、
炭坑節の冒頭をついつい唄いながら・・・

♪月が出た出た 月が出た ヨイヨイ
 三池(みいけ)炭坑の 上に出た
 あまり煙突が 高いので
 さぞやお月さん けむたかろ サノヨイヨイ
 
 一山 二山 三山 越え ヨイヨイ
 奥に咲いたる 八重つばき
 なんぼ色よく 咲いたとて
 様ちゃん(さまちゃん)が通わにゃ 仇(あだ)の花 サノヨイヨイ

 あなたがその気で 云うのなら(いうのなら) ヨイヨイ
 思い切ります 別れます
 もとの娘の 十八に
 返してくれたら 別れます サノヨイヨイ

誰もが馴染んだこのスタンダードナンバーは、
日本を代表する炭坑であった九州の三池炭坑で唄われた労働歌だった、
と恥ずかしながら知る。

近代化後、多い時には国内に600あったという炭坑。
過酷、危険な労働条件の下で、多くの惨事からたくさんの犠牲もうんだという。
石炭は国益を上げるためには、最も不可欠なエネルギーだったのだ。
戦中、戦後の社会を支えた炭坑夫やその家族が唄った歌。
お盆くらいはゆったりと過ごせたのだろうかと想わずにいられない。
今も名残を残す夏の海水浴場もまた、戦後、夏の余暇を過ごす場として
特例的に海の家の営業権を認めたことから始まったものだった。
1960年代以降、世界のエネルギーの主役は、石炭から石油へと交代し、
炭坑そのものは国内から瞬く間に閉められていった。

その時々に、それまでは当たり前であった仕組みやモノの限界が、
はっきりと見えることがある。それは時代の転換点のタイミングといっても
いいかもしれない。

石油の高騰もそうとらえることができるかもしれない。
考えようによっては、石油というエネルギーを膨大に消費することによって
支えられてきた時代から脱却できる時だと。
昼夜を問わず明かりを煌煌と灯し、
わざわざエネルギーを沢山かけた服装をまとい、
密閉された冷房で冷やされた空間に自らを閉じ込め、
成層圏までに影響するヒートアイランドをつくる。
今年7月の雷の発生数は、史上最多だそうだ。

今をときめく、オリンピックに湧く中国だが、
開催前には自然環境の破壊や公害の問題が、広く報道されていた。
環境や身体にインパクトのある化学製品の製造を安価にすまそうとしてきたのは、
その環境問題への報道を行ってきた日本や欧米の人々ではなかろうか。

文明全体が一つの狂気の
中にある。
しかし、それに付き合うという
ことが現代人にとって「生きる」
ということである。

茂木健一郎さんのブログの8月15日付け「樹冠を伸ばしていく」より。

できるだけ石油を使用しない生活にし、気候風土に適した衣食住の再設計の中で、
地域社会とのつながりを取り戻していくことへ今、転換させていきたい。
先人たちの汗を流して築いてきたものを否定するのでなく、
そのひとつらなりにあるものとして。

グローバリズムの中で、他律的な
価値観を安易に取り入れることは、
ブルドーザーで固有の生態系を
根絶やしにすることに等しい。

                                 
楽しい盆踊りの後に、子供たちが浴衣で安心して家に帰れる地域社会をずっと。
                                                

浜降り神輿


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BEACHがある葉山の神明社の夏祭りがありました。
なんとも嬉しいことに、僕もほんのわずかにですが神輿をかつがせていただきました。
(詳しくは、Minoriさんのレポートより

先月、同じく浜降りのある秋谷の夏祭りを観たのですが、
発売になったばかりのNALUのコラムでそのことにも触れさせてもらっていました。

祭りつて、地域とのつながりをホント実感できますよね。
BAECHもそんな存在になっていきたいものです。

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海辺からの景色

砂浜は焼けるように熱く、うだるような暑さが続いていますが、
ここ数日前から朝晩には秋の気配を感じます。
そういえば、一昨日は立秋だったのですね。

富士山から伊豆半島、大島の輪郭がくっきりと見えるほどに澄み切った空気、
光をうつした海。
夕暮れ時のヒグラシに、夜闇に響く虫の声。
盛夏の中にも次の季節への移ろいを思います。

葉山の海辺から広がる光や空を俯瞰して、一瞬をうつした写真が、
クラブハウスの中に飾られいます。
つぶさに見れば、幾多ものストーリーが浮かぶようでもあります。

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その一方で海辺にいる様々な生物や石コロ、打ち上がったペットボトルやビーサン
といったミクロを捉えたものは、なんと愛嬌にあふれていることか。

ブルースさんの写した、やさしくて広い葉山のBEACHSCAPES(海辺の風景)、
ぜひ観にいらして下さい。